千人同心は、江戸時代に、八王子千人町及びその周辺に住む千人同心を指し、天正十年(1582)甲斐の武田氏が滅亡時、筋奉行(国境警備隊長)九人が、部下三百人余りを連れて、徳川氏に臣従したことによる。
慶長五年(1600)関ヶ原の戦い時に、敗れた諸家の浪人を召抱え、総勢千人となった。八王子周辺に土着し、普段は寄与された土地で百姓をし、隣国の甲州勢が押し寄せてきたら小仏峠で迎え討つ任務があった。そんな「徳川のお抱え百姓」が、日光東照宮周辺の火番役を仰せつかり、寛文二年(1662)には頭一人・同心五十人が、半年交代で「十か年に一度ずつ」日光に勤務することになり、毎年旧暦五月二十五日と十一月二十五日に八王子を出発した。
 
この「鶴ヶ島千人同心行列」は、古く日光街道(鶴ヶ島中学校前の通り、ソメイヨシノが数多く見られ、別名「日光脇往還」、「千人同心街道」と呼ばれております)を歩いた千人同心に思いを馳せ、また鶴ヶ島市民がそれを祝い、楽しみ、そして時代を担う子供達に伝統の重みを伝えるべく、昭和60年、当時の石井喜八郎町長が、町制二十周年記念事業の一環として開催された「鶴ヶ島市桜まつり」の最大の催し物として始めたものです。ここ数年、行列自体が下火の傾向にありましたが、(社)西入間青年会議所などの会員の協力もあり、今年、見事に復活しました。

鶴ヶ島中学校前のサクラ並木にて「鶴ヶ島市桜まつり」が毎年4月初旬に開催、その一部に「鶴ヶ島市若手経営者の会」の会員が「千人行列」として参加しました。

桜まつり当日、「鶴ヶ島市女性センター」2階の和室に集合、今までは中学生などに依頼して行われておりましたが、今年からはほぼ中年?のイケメン達に白羽の矢が・・

JAいるま野鶴ヶ島支店内の様子、お祭りには欠かせない出展ブースが多数、見渡せば、売る側にも買う側にも知人ばかり・・ちょっと恥ずかしいかもしれませんね。

行列が始まる前のシーン、今回は、会としては初めての参加、どう並ぶか、またどの備品を持つか、戸惑いの連続でした。右の写真の中、web管理者の私も参加です。

会の中でも偉い?方2名だけちょっと違った(格式の高い)衣装の着用を許されます。右の写真は鶴ヶ島市長、県議会議員のお二人、行列に自ら参加されました。

いよいよ「千人同心行列」の開始です。昔の方は本当にこんな格好で旅をしたのでしょうか?脇腹に差した刀が痛いのです・・また履いた草履も・・・

当日の桜まつりには数多くの団体がパレードに参加、やはり、予期せぬ出来事がこんな行事には付き物、途中で小休止?本物も、こんな感じで休んだのでしょうか?

千人行列再開、最初は緊張していましたが、歩き始めるうちに各々が知り合いなどに声を掛けられいい感じに・・中々、晴れ晴れしい気持ちにさせて頂きました。

終了後、市長を囲み記念撮影、実は、若手経営者の会は殆んどが(社)西入間青年会議所出身、今回は、「25周年イベント」の宣伝を兼ねての歩み、ちょっと図々しいですかね?

平成18年4月30日掲載

[Web管理者・小川貴範]

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