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管理者の趣味の一部の紹介です。58

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さて、この電装ボックスの中に不具合が有るということは、エンジンの他の電装系部分などにも錆びというか、不具合が有るのではないか・・よせばいいのに(本当によせば良かったのです!)、思い切ってエンジンを船から引き離して?整備し易い方向にて作業を進めてみました・・写真は、まず邪魔?な燃料タンクなどを外したシーンとなります。

管理者の趣味の一部の紹介です。57

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その日の16時くらいに、十二分に遊んだから、「もう上がろう・・}と考えて、一度エンジンを切ってから少し浮遊?して休み、再度エンジンを掛けようとしたところ、エンジンがウンともスンともいいません・・まあ、クレーン車のすぐ近くでしたから、問題は無かったのですが、これが遠方だったら・・写真は無事に帰宅後、2~3日経ってからのもの、他の方のウェブサイトを参考にしながら原因を発見!電装ボックスの中に有るスターターリレーの密閉が悪く、錆び付いておりました・・これでは調子が悪くなる筈ですよね・・常に水に触れるこの水上オートバイ、メンテナンスはより重要になって来るかと思います、陸上を走るオートバイに比べて・・・

管理者の趣味の一部の紹介です。56

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さて、先日の続き、クレーン車にて吊り上げ後、無事?に水面に着地?致しました・・その後、一番心配していたスタート?というか、水面にてエンジンが掛かり、推進できるか否かが心配でしたが、無事?にスタートすることが出来、その日1日十二分に遊ぶことが出来ましたが、最後の最後にトラブルが・・次回に報告させて頂きたいと考えております。

管理者の趣味の一部の紹介です。55

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こちらが、水上オートバイをクレーンを使って利根川に降ろしている模様になります。その重さが125キロと水の上では軽い?のですが、陸上では、とっても?重たい・・のです!しかも今回からは1人で行く機会が増えるかと思いますので、このクレーンを使っての水上オートバイの吊り上げ・吊り降ろしは、いうことが無いですね・・・

管理者の趣味の一部の紹介です。54

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さて、その「利根大堰」にて水上オートバイに乗るのが、そうですね、10数年振り・・以前は友達数人にてトレーラーに載せて運搬したのですが、水上オートバイを降ろす場所が決まっていて、他のグループの方などとちょっとしたトラブル?なども有りましたが、今回はご覧の様に仕事で使うクレーン車を使用して水上オートバイ本体を水面に降ろすことになりました・・・

管理者の趣味の一部の紹介です。53

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1964年、東京オリンピックを前にして、東京は未曾有の大渇水(通称・東京砂漠)が起こり、危機的状況に陥った。東京都の緊急要請により、建設省は朝霞水路を通して緊急取水を実施した。その後、1965年には荒川に秋ヶ瀬取水堰が建設され、朝霞浄水場へ導水する為の整備を行った。こうした中で利根川は「水資源開発促進法」に基づく指定河川となり、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)が「利根川・荒川水資源開発基本計画」に従い、利根川から水道用水を取水する為に見沼代用水元入がある地点に利根大堰を建設し、首都圏の水需要に応えようとした。堰は1968年4月に完成した。画像は「武蔵大橋」全長687.2メートル、幅7メートルになります。

管理者の趣味の一部の紹介です。52

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さて、先日にアップさせて頂いた内容は、『オートバイ』になりますが、今回は『水上オートバイ』、何と10数年振り?に始めさせて頂きました・・まずは私が昔から良く行っていたゲレンデ?利根大堰(とねおおぜき)の紹介になります。以下、ある文献の引用となります。利根大堰(とねおおぜき)は、埼玉県行田市と群馬県邑楽郡千代田町の県境、利根川本川・河口から154km地点に建設された堰である。高度経済成長期において、東京都の水需要の急激な増大は深刻な問題となっていった。この為、建設省(現・国土交通省)は、東京の水需要を多摩川から利根川に転換すべく、1963年に利根導水路計画を立案した。元々、東京(江戸)を水害から守るという目的で利根川東遷事業を進めたという経緯があり、水利権の問題はあったが、時の建設大臣(池田内閣)河野一郎の政治的決断で計画されたといわれる。